ホーエンツォレルン城

ホ城ことホーエンツォレルン城

それは、兄さんを愛すものが必ず一度は訪れてみたい場所。言わば普領の聖地である。

せっかくなので、出来るだけたくさんの方のレポを載せることにしました。

(この企画への参加の締め切りはありません。
参加を希望する場合、こちらの問い合わせフォームから気軽にご連絡ください。)

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投稿:

rikaleinchen

私は2011年の夏にホ城に行きました。 以下は個人ブログに載せた5年前の古い記事になってしまいますが、少しでも参考になれば幸いです。 ※当時使用していたデジカメは今のスマホ以下のクォリティーでしか撮影できませんでした。 … 続きを読む →

「馬車で来た」(結婚式)

ホ城のチャペルでは結婚式を挙げることができます。 ホ家はカトリック派(シュヴァーベン系)とプロテスタント派(ブランデンブルグ系)に分かれていたので、チャペルは両方あります。 現在の当主ゲオルグ・フリードリヒ・フォン・プロ… 続きを読む →

セロ様

2015年3月28日、憧れの聖地・ホ城へ行ってきました! 城内部のツアーは撮影禁止のため、写真が撮れた部分に絞って レポしていきたいと思います。 バスで坂をのぼって・・・ “Adlertor”(鷲… 続きを読む →

藤緒様

私が今住んでいるのはホーエンツォレルン城と同じバーデン=ビュルテンベルク州ですが、シュヴァルツヴァルトを挟んでいるため、ホ城までは車で2時間ほどかかります。 黒い森を西から東へと横断し、ビズィンゲン側からアウトバーンを通… 続きを読む →

雪春様

こちらの写真は雪春(@ykhr_piyo)さまに送っていただきました。 どうもありがとうございました! (補足説明は私、rikaleinchenによるものです。) 雪春さん「旗があがってるのは城主が居るよーって日なんだっ… 続きを読む →

くろわし

Guten Tag! くろわしです(` フ ´)ノ 普領の聖地ホ城!2013年4月と2015年3月に行って参りましたので、私も写真を上げさせていただきたいと思います♪2013年は4月なのに大雪で大変でした……(´∀`;)… 続きを読む →

ミサ様

2015年2月11日憧れの地ホーエンツォレルン城へ行ってきました。 英語が全く話せなかった+冬というオフシーズンだったので不安だらけでしたが、 行こうという想いさえあれば案外どうにでもなるものです。 バスの本数が少ないの… 続きを読む →

りょう様

2014年6月15日に長年の憧れだったホ城に行ってきました! 片言英語レベルで初海外一人旅という不安だらけのホ城への道のりでしたが、以前行った方達のレポやアドバイスのお蔭で無事たどり着く事ができました。 なので今後行こう… 続きを読む →

緋月様

お写真は緋月さまにお借りしました!ありがとうございました!

Julia様

Julia様にお写真を提供して頂きました。 ご協力ありがとうございました! (コメントはrikaleinchenによるものです) Zeller Horn という高さ約913mの山に登ると、お城の全体が見えます。 天気によ… 続きを読む →

せしか様

2016/05/05にホーエンツォレルン城に行きました!現地の上司に車を出してもらって行きました! 遠目でホーエンツォレルン城が山のてっぺんにあるのが見えてきました…!楽しみすぎてハァハァしてつらい そしてホーエンツォレ… 続きを読む →

プロイセンビール

2017年からゲオルグ王子自らプロデュースしたプロイセンビールが販売されています。 公式ホームページ:http://www.preussische-biermanufactur.de このビールは、ホ城で購入するか、特定… 続きを読む →

宮月様

2019年8月にホ城を訪れた宮月さんにお写真を提供して頂きました!ありがとうございます!

ホ城の歴史

ホーエンツォレルン城はホーエンツォレルン家のために建てられたお城です。

ホ家とは?

南ドイツ・シュヴァーベン地方出身の貴族です。詳しくはこちらをご覧ください。

補足:1000年以上も経てば領土の分割や政治の都合で親戚はどんどん増えます。
ざっくり言うと、ホ家はシュヴァーベン地方の「元祖」と(これもまたヘヒンゲン系とジーグマリンゲン系があってややこしい)、(フランケン地方に領土があったため)ブランデンブルグの親戚(のちの「プロイセン王国」が誕生した場所)で分かれます。そんなこんなでホ家の片方はカトリック派、もう片方はプロテスタント派です。
現在の当主ゲオルグ・フリードリヒ・フォン・プロイセンはブランデンブルグ系のほうです。
母親のキーラ・キリロヴナはロシア人だったため、ホ城にはカトリックとプロテスタント派以外にもロシア正教のチャペルがあります。

元々のホ城は11世紀に建てられました。1423年の反乱で壊され、1454年にまた建て直されました。しかし、30年戦争後はお城はハプスブルク家に渡り、18世紀の半ばはフランス軍に占拠されました。フランス軍が去った頃の19世紀初期は廃墟だったそうです。

そんなことから、現在のホ城は1850〜1867年の間に建てられた、比較的「新しい」お城です。
お城というよりももはや宮殿、というひともいます。

お城と宮殿の違いは?

宮殿は貴族や王族が住み、権力を示す豪華な建物なのに対し、城は主に防衛のための建築。
城のだいたいは山頂にある。

ちなみに当時の建築担当は私がこのブログで何度も推しているシンケルの弟子、シュトゥーラーでした。

シュトゥーラーはポツダムの平和教会、ベルリンの新博物館(古代エジプト美人の一人、ネフェルティティの胸像がある博物館です)や、フリッツ親父がフルートを演奏している有名な絵画がある、ベルリンの旧国立美術館(※デザイン担当はシンケル)も設計しました。

ホ城で最後に住んでいたのは、皇太子ヴィルヘルムとその妃ツェルィーリエです(ポツダムのツェルィーリエンホーフ宮殿はこの方のために建設されました)。二人のお墓もホ城にあります。ドイツ再統一までは兵隊王とフリッツ親父のお墓もここにありました。(いまはポツダムのほうで眠っています

WW2後、ヴィルヘルム2世の王冠がホ城で保管されることになり、その王冠をお城のツアーで見学できます。

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